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北条 忠時(ほうじょう ただとき)は、鎌倉時代末期の武将。金沢流北条家の出身で、第15代執権の北条貞顕の嫡男・貞将の長男。弟に淳時がいる。 元弘3年/正慶2年(1333年)5月、新田義貞が鎌倉に攻め込んだ時、父と共に巨福呂坂を守ったが敗れた。そして父と共に自害したという〔(「北条氏系図」)。『金沢貞顕』〈人物叢書〉149頁。〕。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条忠時 (金沢流)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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